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★ DREAM THEATER ☆ S.R. vol.1 -Battle One- * Side-A-3 [DREAM THEATER]


DREAM THEATER ~ Wait For Sleep (Live In Tokyo 1993)





DREAM THEATER ~ Metropolis Pt 1: The Miracle and the Sleeper (Awake in Japan 1995)




イメージズ・アンド・ワーズ (ワーナー・ハード・ロック1500)
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DREAM THEATERIMAGES AND WORDS』(1992)




DREAM THEATER

HARD & HEAVY』(1995) より

彼らの歴史はボストンにある著名な音楽学校「バークリー・スクール・オブ・ミュージック」に通っていたギタリストのジョン・ペトルーシ、ベーシストのジョン・ミュング、そしてドラマ―のマイク・ポートノイの 3人が 1985年にトリオ編成のバンドを組んだことから始まった。

翌 1986年、故郷ロング・アイランドに戻った彼らは、ペトルーシやミュングと同じ高校に通い、「フレドニア・スクール・オブ・ミュージック」に進学していたケヴィン・ムーアをキーボーディストに加え、4人組となる。

さらにクリス・コリンズというヴォーカリストを加えて 5人編成に落ち着き、バンドを「マジェスティ」と名乗り始めた。

マジェスティは同年 4曲入りの自主製作アルバムをリリースするも、クリスが脱退。

残ったメンバーは自らの目指すサウンドを具現化できるヴォーカリストを探すためオーディションを行い、1987年秋、ようやくチャーリー・ドミニシを正式メンバーとして迎えることとなった。

これで活動を軌道に乗せた彼らは、1988年初頭にメジャー傘下のメカニックと契約を交わし、1989年、ついに『WHEN DREAM AND DAY UNITE』でアルバム・デビューを飾る。

その際、マジェスティというバンド名が契約上の問題で使えなくなり、マイクの父親のアイディアで「ドリーム・シアター」と改名した。

この 1st アルバムのリリース当時の彼らのサウンドは、テリー・デイト・プロデューサーのヘヴィな音像と、ゲディ・リー(RUSH の Vo & b)を彷彿とさせるチャーリーの歌唱スタイルや、複雑な曲構成から、「メタリカとラッシュをかけあわせたような音」などと評されたが、改めてこの作品を聴くと、既に彼らがオリジナル・スタイルを確立していることがはっきりと感じられる。

しかしその先鋭性ゆえにセールスはふるわず、この 1枚を発表しただけでバンドは契約を失ってしまう。

折しもチャーリー脱退によってバンド活動が停止していた時期だけに、以後長い沈黙を余儀なくされたが、その間に「アトコ」とのディール獲得、そして、「よりサウンドを理解し、可能性を広げてくれるシンガー」として、カナダのバンド「コニー・ハッチ」に在籍していたジェームズ・ラブリエを後任ヴォーカリストに迎えることが出来た。

そして 1992年 8月、彼らの出世作ともいうべき『IMAGES AND WORDS』で劇的な復活を遂げることとなる。

この 2nd アルバムは広い声域と抜群の歌唱力を持つジェイムズを得たことで、既にその凄さを見せつけていたインストゥルメンタル・パートに拮抗するほどのヴォーカル・パートの充実が実現され、相変わらず複雑な展開を有する長編ナンバーを主軸にしつつも「Another Day」のようなコンパクトでキャッチーな名曲を誕生させるに至った。

そしてこの 90年代の HM シーンにとってエポック・メイキング的作品のリリースを機に、まず日本での人気が爆発、1992年 11月(アルバム発売の 3カ月後)に待望の初来日公演が実現した。

あの完璧なまでに構築され、さらには各パートの尋常ならざるアルバムでのテクニカルなプレイは果たしてライヴにおいて再現可能なのか?

多数のファンが詰めかけたライヴにおいて彼らは我々の予想を遥かに上回る形でその疑問に対する解答をまざまざと見せつけてくれた。

大好評のうちに幕を閉じたジャパン・ツアー後、遅ればせながら本国アメリカでも「Pull Me Under」がラジオや MTV で頻繁にオンエアされ、アルバムはチャートを上昇し、最終的には好セールス記録するに至った。

(中略)

と、ここまで彼らの歩んできた道をふり返ってみたが、デビュー当時いわゆる “ミュージシャンズ・ミュージシャン” (ミュージシャンの間での評価は高いものの、あまり一般的には認知されていないアーティスト)だった彼らが、90年代に入って一気にポピュラリティを得た過程は、90年代半ばのシーンと大きくリンクしているように感じる。

というのも 80年代に全盛を極めた HM グループが、特にアメリカにおいて隅に追いやられ、代わってグランジやオルタナティヴといった単純で無機質な音楽が幅をきかせるようになっても、ドリーム・シアターのような高度な演奏技術と優れた音楽性をもったグループが、少なくともここ日本のファンにとってはインパクトのある存在としてクローズアップされるのは、ごく自然なことのように思えるからだ。

ブームに流されやすいアメリカのファンとは違い、日本のファンは本当に良い音楽を聴き分け熱心に支持していくという姿勢を持っている。

そんな日本のファンのハートをがっちりと掴み、その人気を盤石なものとしたドリーム・シアターこそ、90年代という HM にとって厳しい時代の中における希望の光だといえるのだ。

事実、アメリカやヨーロッパのインディーズで地道に自らの HM を追求する若手バンドの多くが、ドリーム・シアターが呈示したプログレッシヴなスタイルの HM をプレイしている。

かつてのジューダス・プリーストやアイアン・メイデンがそうだったように、今や彼らはこれから出てこようとするバンドの手本となっているのだ。

(以下、割愛)



私はプログレというのがイマイチ苦手で(ベートーヴェンの交響曲などと違って途中で飽きるw)ドリーム・シアターにも関心がありません。

というか、ジェームズ・ラブリエさんの歌い方は、ゾワッ (>_<))) っとするし・・・w

なのに、なんなんだ、この長ったらしい引用は \(◎o◎)/!

それはひとえに、現在の日本の洋楽シーンを愁うからに他なりません。

古くはチープトリック、少し古くはボン・ジョヴィ、はたまたこのドリーム・シアターなどなど、日本から火がついて世界デビューを果たし、一流となったアーティストが沢山います。

それなのに、90年代半ばのロックン・ロールの低迷期と共に、日本の洋楽シーンは死に絶えた感があります。

HM/HR だけでなく、世界中を熱狂させたジャスティン・ビーバーの登場の時、ニュージーランドでは空港に 1000人以上のファンが押しかけて怪我人が出たため、オーストラリアの公演は大事をとって中止になる騒ぎでしたが、この日本では、ほんの数人のファンがチラホラした程度。

そしてテイラー・スィフトと 2人で音楽賞を総ナメにしたのですが、この日本では、ひたすら K-POP、それが済むと AKB 48 の異常な盛り上がりのみ。

最近、ようやっとテイラー・スィフトが目にとまるようになりましたが、まだまだですね。

ジャスティ・ビーバーなんてスキャンダルのニュースばっかりだし (^^;

日本で火がついて世界デビュー \(^o^)/なんて、夢の夢。遠~~~い昔話。

そのくらい、昨今の日本の音楽シーン世界離れしているというのを、一人でも多くの人に分かって貰いたくて、世界的なバンドの 1 つであるドリーム・シアターの歴史を転載しました。




STORM SERIES ―もくじ―
(psycho-country.blog.ss-blog.jp/2021-02-28 )
S.R. vol.1 -Battle- * One ☆ Side-A

(psycho-country.blog.ss-blog.jp/2015-05-23-5 )



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